「地域に愛される醤油づくり」下津醤油株式会社

「地域に愛される醤油づくり」
下津醤油株式会社

三重県津市、近鉄高田本山の駅から少し歩いていくと、醤油の香りがただよってきます。
下津醤油は1856年に開業。167年の歴史をもつ老舗醤油屋さんです。日本の食卓に欠かせない醤油を製造する事業者である下津醤油の今、これから、について代表取締役 下津 浩嗣さんにお話を伺いました。

■醤油業界の今…。

味噌醤油業界は日本酒の業界に似ていて、日本酒はピークの3分の1、醤油も半分ぐらいになっています。醤油は生活に欠かせない調味料として安定供給されていると思われるのですが、実際は消費量が年々減っているんです。大正時代には小さな醤油屋も入れると1万3000社くらいありましたが、昭和30年には6000社、現在は1050社になっています。
醤油の需要量だけ言えば大手10社でも十分賄えてしまいます。しかし、全国にある約1000社の中小の醤油屋がその地域の食文化を守っている事も事実です。
当社が醤油屋を始めたのは1856年です。1970年頃までは一升瓶で販売していましたが、その後、1.8ℓのペットボトルで販売されるようになり、大手メーカーはボトルに詰め込む作業が短時間、低コストで行えるようになり、価格破壊が生じるようになりました。

下津 浩嗣さん

醤油づくりは変わらず大切にしています。ただ、新しい事業も生み出さないといけない状況になり、家庭用は生協の組合員向けにシフトチェンジし、業務用で愛知三重の食品メーカーに対して業務用のオリジナル調味液・たれの提案販売と大手製粉会社との醸造調味液の共同開発などをしてきました。
今から20年ほど前に、地元の催事に初めて出店した際に「下津さんの醤油が懐かしい」と言われたことがありました。その時に、地域や世間から、家庭用の醤油の味が忘れられていたことに気づかされました。

■下津醤油の特徴…。

丸大豆醤油は、地元三重県産の大豆と小麦を使用しています。そして、香りが良いというのが特徴かと思います。でも、醤油はあまりに特徴があると使いにくい。やっぱり万能的なのが使いやすいです。
醤油づくり、という「モノづくり」です。決められたことを確実にすることでおいしい醤油ができる。そのための作業がとても大事です。その作業の中で、こうすれば早くできる、楽になる、という提案をするのが仕事だといわれます。作業を大切にしながら、仕事を考えることが大切。そうでなければ会社はよくなりません。持続するための重要なことです。

■醤油の未来…。

醤油を一回仕込むのに、大豆を2300キロ使います。製造タンクを満タンにするためにはその4倍9200キロの大豆が必要になります。農家さんが2300キロの大豆を生産するためには畑が1町以上必要です。ある程度規模の大きい農家でないと採算が合わない。大豆の値段があがったとしても、今はまだ生産量があるのでお金を出せば手に入ります。が、将来は手に入らなくなる時代が来ます。
下津醤油の経営を維持できるだけの売上はあります。ですので、無理に売り上げを伸ばそうとはしません。必ず歪みがきますから。物価の値上がり分の価格は上げなければいけないですが、製造キャパはある程度決めておかないといけません。
醬油工場はサビとカビとホコリとの戦いです。製造量を増やすために工場を増やしたら、醤油工場の管理、清掃などの苦労が増えます。であれば今ある工場でできることを増やしていくことを考えなければいけない。
安心して任せられる中小企業食品工場が食品製造を行う。これが当社の考え方です。

■醤油とSDGs

SDGsを意識して取り組んでいるんですね、とよく言われますが、そもそも中小企業はSDGs的な事に取り組まないと生き残っていけないんです。そう考えると、世界や国が「SDGsに取り組みましょう」という前から取り組んでいたと思います。
2012年に一身田商工振興会のメンバーが出資して株式会社あかり屋を設立し、現在、高田会館・ぼんぼり・一身田レトロ館の3店舗を運営しています。高田会館内の「和彩AKARI」の名物は、伊勢芋とろろ。多気町で手間暇かけて作られる伊勢芋を使っています。「和彩AKARI」は手間暇かけて皮をむきますが、2割くらい出ます。伊勢芋農家さんに話を聞くと形の悪い伊勢芋は皮をむいて出荷していているとのこと。大変な作業です。伊勢芋全体の40%が捨てられていました。そこで考えたんです。苦労してむいた伊勢芋の皮を何かに使えないかと。そこで、当社は農家さんから伊勢芋の皮を購入し皮の粉末を作り「伊勢芋かりんとう(おこまさん)」を開発しました。皮を買い取って「伊勢芋かりんとう」をつくったことで農家さんはとても喜ばれています。

小学校の工場見学も受け入れています。子どもたちは自分で醬油を詰めて、好きな絵を描いたラベルを貼って、三重県の大豆・小麦でできたしょうゆをお土産に持ち帰ってもらいます。
もう一つSDGs的に言うと、地元の大豆など原材料を使うと輸送コストの点でも環境に良いと考えています。地産地消です。私たちは、地元のもので地元の良い物を作る責任があり、そのことを知ってもらう活動も大切です。三重県の大豆などの生産者、醤油の製造者、そして消費者がつながっていることが大切だと思います。

■醤油屋さんと地域

業務用の醤油のノウハウがあったので、だし醤油、卵かけご飯の醤油などの便利調味料を色々とつくりました。そして、地元の米に醤油を混ぜた自家製団子と2種類の自家製だれを作りました。団子は売り上げで言うと、まだまだですが、先にお話ししたように、「下津の醤油を懐かしく思ってくださる地域の方がいらっしゃることを大切にしたい」と思うようになり、地域の人に下津醤油を使ってほしいという願いから直売所を持つことにしました。こういった小さな活動の積み重ねが地域における下津醤油のブランド価値を高め、その結果、主力事業である業務用調味液タレの評判に繋がり、会社にとってプラスになると考えています。

地元には国宝建造物の高田本山があります。しかし、町は閑散としている。お店も減りました。何かして行かないと次のステップにうつれない。この一身田という町を皆、何とかしたいと思っています。人口が29万人いる津市内であり、津インターや芸濃インターからも15分で来れるような場所です。魅力を作って客が増えて来てくれたら、いまあるお店の商売も楽になると思うんです。
手作り総惣菜の店「ぼんぼり」では、30種類程度の量り売りの惣総菜を販売しています。毎月1回開催している坊主BARはお坊さんの講和や、お坊さんに客の話を聞いてもらいます。リピーターが多く、そういう楽しみができると不思議とお年寄りも元気になってきます。

醤油を作る楽しさや大変さ、伝統を守る大切さを地域で発信する事は製造者としてとても大切だと考えています。

■取材を終えて

地域の醤油屋さんとして、様々な事業を展開されています。その根底として大事にされているのが、「一身田という土地にある」ことだと感じました。たとえ商品のマーケットが全国であったとしても、三重県の自然や風土で育まれた材料を使う、三重県の子ども達に大切なことを伝える、地元で暮らす人たちを想って多様な取組を生み出す、地域の伝統や歴史を発信する…。
醤油、そしてみたらし団子にその思いが詰まっていました。

下津醤油株式会社
創業 安政3年(1856年)
設立 大正7年(1918年)6月25日

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